2011年6月2日木曜日

ABOUT FUNKOT 2011

ファンコット(ファンキーコタ)とは?
インドネシア原産快楽追求型ハイスピードダンスミュージック
ドッタドッドタという独特のビート。いくつかの定型ベースライン。派手にちりばめられたボイスサンプル、
一昔前のエピックトランスにも通じる派手なシンセとフレーズ。BPMが曲中で変化する曲(ダウンビート)もある。
西洋音楽における「カッコいい」感じよりも快楽を重視したつくり。
オリエンタルメロディなども積極的に取り入れられる。





■呼び方問題

2009年、バリ取材の際はファンコット、ファンキーコタといっても伝わらないという自体があり、ともすると「ファンコット」って言うと怒られたり気分を害したりしたことがあった。だが今回の来訪ではDJ達は普通に「ファンコット」と言っていた。

ジャカルタのCYBER TEAMのDJ RONNY曰く、「コタ」が発祥なのに、バリ島は「コタ」がないからそこが曖昧になったのだろう、と。

もともとはファンキー・ハウス・コタ→ファンキー・コタ→ファンコット

ファンコットの略語の由来は、インドネシア都市部を走る乗り合いバス「アンクタン・コタ」をアンコットと呼ぶことから、ファンキー・ハウス・コタもファンコットと呼ぶようになった。

半径三キロ四方のコタ地区からすべてが始まっている。


コタ地区の映像。


ジャカルタのDJの間では「ファンコット」と呼ぶのが普通。
クラブ好き、ディスコ好きにも通じる。
が、一般人、音楽に興味がそれほどない人は「ハウス・ミュージック」と呼ぶ。
ジャカルタのショッピングモールの中の海賊版CD屋ではジャンルの棚に、
HOUSE MUSIC,TRANCE,PROGURESSIVE,となっていた。

解釈としては家で作る音楽=ハウスミュージック
(もともとはシカゴのクラブのウェアハウスから来ており、そこでかかっていたような音楽をハウスと呼ぶようになったが意味が変容した。というか字面通りに受け取った結果。)

つまり、コタ地区を中心に発展したファンキーなハウスミュージック=
ファンキーハウスコタと呼ばれるようになった。

■ハウスミュージックについて。(アボカズヒロ氏より補足)


ハウスの語源について。
ウェアハウスはシカゴのクラブ、ニューヨークには「ガラージ」の語源になった
「パラダイスガラージ」、当時のこの二つの関係はジャカルタとバリの関係性に近かったかもしれません。
ウェアハウスとパラダイスがラージで当時かかっていた音楽はかなりのところで同じ曲でした。
でも当時、それはシカゴでは「ハウス」でしたし、ニューヨークでは「ガラージ」だったんです。
バリにはコタ地区がないのでファンコットといっても通じず、あくまで「ファンキーハウスミュージック」だという事に通じるかもしれないですね



「ファンキー」とは何か?

アジアのファンキー感というものを考える必要。
ナンシー関「ファンキー=ヤンキー+ファンシー」
矢沢栄吉「君はファンキーモンキーベイビー イカれてるよ」

この二つがアジアにおけるファンキー感の基礎だと思われる。

日本で「ファンキーなおじさん」というといわゆる黒人由来のファンクネスを感じさせる、
というよりは派手で奇行をする
、という人の事を指すことが多い。


DJロニーいわく「ファンキー」とは?
「フレッシュ」「フレキシブル」「フリー」
→アジア人からの「ファンキー」の答えがこれだ!

■ルーツ解明
大衆ディスコ歌謡ダンドゥットの直系の進化系だと思われていたが、今回の調査で新事実が明らかに。
90年代前半から欧米のハウスミュージックがディスコやクラブでかかるようになっていたが、95,6年には今の「ファンコット」の基礎となるダンドゥット、インドネシアポップスのリミックスがディスコで大ブーム。ファンコットのルーツのひとつとされているのがbarakatak(バラカタ) "bergoyang lagi(ブルゴヤン・ラギ)" と、
スハルト大統領の息子でミュージシャンの Guruh Soekarno Putraの「ハウスミュージック」のアルバム「NXTC(アンチエクスタシー)」である。



BARAKATAKのBERGOYANG LAGIはダンドゥットを取り入れたポップス、すなわち「ポップダンドゥット」だったため、必然的にFUNKOTの初期段階ではDANGDUTのREMIXが定番となった。

それらのリミックスを始めたのはあのジョッキー・サプトラ、トミーファンズ、クレイジーセンディらのレジェンダリーDJたち。40半ば~後半。

またDJ達はFUNKOTのダンドゥットがルーツなのか?と質問したら
DANGDUTと似ているが、異なるものだ。と。

西洋のハードハウスが数年をかけて、インドネシア人の「気持ちよい」方向に変容・進化していったという。

彼らは洋の東西を問わずポップスでもトランスでもヒップホップでもレゲエでも何でもFUNKOTにできる。と断言する。

つまりFUNKOTはインドネシアのコタ地区で生まれたREMIX手法そのものを指すのであり、
DANGDUTはたまたまそのリミックス素材の中心として扱われていたからと解釈できる。


その後、トランス、プログレなどの派手でメロディックなウワモノの要素を取り入れつつ、サウンド的には西洋的な進化をしつづけ、それまでREMIXが主体だったFUNKOTにオリジナル楽曲が多数生まれ始める。
2000年ごろ、ファンコットクラシックと呼ばれる現在でもremixがされ続けるいわゆるアンセムが誕生。
今の「ファンコット」のジャンルとしてのアイデンティが確立する。
(I LIKE IT LOUD, POWER OF MAGICなど)
このフレーズを聞くだけでインドネシアのパーティーピープルはガン上がり。


ちなみにアーユーレディーなどの定番ボイスは10年以上使われている。
最近ではアーユーレディーは三種類確認されている。
定番、アーーーユーーーレディーーー!
アーユーレディーー!(平坦アクセント)
アー・ユー・レディーー!(最近の流行)



そうした歴史を持つ中で現在もフィジェット、ボルチモア、バイレファンキ、エレクトロなどの世界のトレンドを確実に取り入れつつ、確実に進化している。
別に彼らが「音楽的に世界のトレンドから取り残されている」わけではなく、そのスタイルを確実に守り続けつつ進化しているのである。


■DJ徒弟制度・シングル音源統制
現地の有名ディスコを訪れた時に、現地のトップDJからぜひ我々の所属するDJスクールを見に来て欲しいと言われ見学に。

三ヶ月で基礎を仕込まれ、二ヶ月のインターンシップののち、クラブに就職する。(ジャカルタのYR MIXING DJ SCHOOLの場合)
毎晩、1000人規模のクラウドを沸かせるDJ達がバティック(インドネシアの正装で、ビジネスウェアみたいなもの)を着て、スタジオで作業したり、生徒にDJを教えている。
タイムカードも押している。

どう考えても人生の修羅場を何度もくぐってきたようなビッグボス(社長)と対面。

「これがワイの機材や!アジアにこのワンセットしかないんやで!」というパイオニアの高級機材、CDJ2000とDJM2000のセットを社長室に完備。(つまり社長室にDJブースが!)
案内してくれた秘書のような男も「ビデオカメラを回せ!」と社長の機嫌取りに腐心。



「ヘッドフォンもピオニール(パイオニア)やで!どや!どや!」という高級ゴルフクラブを自慢する感覚でわれわれに誇示。
その場でDJプレイを披露してくれた。

超高性能のミキサーにもかかわらずイコライジングの類を一切せずボリュームだけでミックスする超男らしいスタイル
社長室には無数のDJする社長の肖像画。
われわれはダブルサムズアップで「社長!バグースです!社長!」とご機嫌取り。
社長、史上最高のどや顔。




このように、社長が超高級機材を保有するほどDJがビジネスとしてちゃんと成り立っており、DJの平均年齢もやや高め。
家族を養っているDJもたくさんいる

前回にこの番組で紹介したBPMという曲の作者、DJジョージにも会ってきたが、彼も家族をファンコットDJ、製作で養っている。一家の大黒柱がDJ!

音源はDJと友達になったらもらえる。というのが一般的らしい。


○さかさま問題
ベースラインとビートの関係。
重視なのはベースライン。(中低域・現場での鳴りを最重要視)
当初の国産ファンコットはビートがやたらでかく作っていた。

→解決
しかしさかさま過剰解決問題
「サブベース(家で聞いたときには聞こえない低音)が出すぎ。
ファンコットは高速BPMの音楽なので、あまりにベースが重たすぎるとグルーヴが死ぬ。」CYBER DJ RONNY談



★南(セラタン)地区との確執とウェスタン・ポイズン

<現地の若者はファンコットをどういう目で見ているのか?>
→ダサい、怖い、チャラい。
→(例)マヘサくん(オシャレデザイナー)は「コタ地区に行ったことすらない!」
→ファンコットがかかっているところは「ディスコ」
→「ディスコ」は嫌いだけど「クラブ」は好き(象徴的)
→「コタ地区」はヤンキー文化がはびこっている地域

南系はトランス、プログレ、R&Bを中心とした西洋音楽をかけており、いわゆる「オシャレ」で「モテ」な感じ。
それがコタ地区のあまりにもむき出しな快楽主義や伝統を重んじる形がダサく見える
南の影響はやはりコタ地区にも及んでおり、プログレッシヴ的な音をかけるディスコも登場している。

しかし、それらに対抗するため、コタ地区のDJ達はプログレッシヴを「コタ流」にした新ジャンル
「ブレークビート」を作り出す。
これはファンコットのダウンビート部分を取り出したようなジャンルだが、別名「プログレッシヴコタ」、つまり「コタ流プログレッシブ」と呼ばれ略称「プロコット」と呼ばれている。

どんなものでも必ず自分達流にする、という西洋の流れには簡単には迎合しないという
職人的なこだわり。



DJロニーは言った。
「セラタン(南)の奴らは新し物好きで、今は浮気しているだけだ。アジア人のここ(ハート)にはファンキーのスピリットがあるから、必ず戻ってくるよ。俺は別に気にしてない。」

「何で南の人たちはファンコットを馬鹿にしてると思う?」

「あいつらはウェスタン・ポイズン(西洋の毒)にヤラれているんだ。」

→(例)日本国内では「ジュリアナテクノ」「トラパラ」などが近い。オリジナルの楽しみ方から、国産のシーンが生まれていたが、ファンコットと同様の理由でいわゆる「音楽ファン」「文化人」からは白眼視され、衰退していった。しかし海外から見た時にオリジナルなのはこれらの「国産」の音楽のシーン、楽しみ方である。無視すべきではない。

→なぜこれら「国産」のカルチャーは「ダサい」「恥ずかしい」と思われるのか?アジアの土着感の恥ずかしさ、下にみる感じはなんなの?日本語ラップもそういう感じで見られているんじゃない?

「西洋に近ければ偉い・カッコいい」という感覚はどうなの?
カッコいい音楽=良い音楽なの?
「気持ち良い」
「面白い」
「楽しい」
という要素はどうなの?知恵がつくとそのあたりの大切な要素を忘れていないかい?
我々も無意識にウェスタンポイズンに毒されてはいないだろうか?

カッコいい、ダサい、だけで音楽を判断して嘲笑するというのはあまりにもウェスタン・ポイズン的な考えではないか?

インドネシアでは音楽は「かっこよさ」よりも「快楽性」が重視されているように思える。
食事がおいしいとき、セックスが気持ちいいとき、そして音楽を聞いても 「ENAK」(エナッ)という言葉で表現する。

それはまるで、エクレアに向かって、このエクレア、辛さと渋みが足りねぇなー!だめだなー!と言っているようなもので、お門違いなのではないか?
その代わりエクレアはエクレアのとろけるような甘さがあるのだ。

今回のジャカルタ訪問では何でもかんでも画一的な尺度で文化を見て馬鹿にしたり、笑いものにしたりしていたのか、ということを反省する結果になった。

それと同時にアジア発祥のオリジナルダンスミュージックは今までも存在しない。
ファンコットは西欧一辺倒のダンスミュージック史に新たなる足跡を残す超重要な存在ではなかろうか?同じアジア人としてこの音楽をもっと誇ってもよいのではなかろうか?

しかし、日本でも過去にジュリアナテクノ、トラパラ(サイバートランス)のようなオリジナルの音楽はあったが、例によってチャラすぎる、商業的すぎる、という理由と識者からのディスで固有の音楽文化が死んできた。
インドネシアはそうなって欲しくない。

しかし、彼らはオリジナルである自覚と伝統を大事にしているので、そうなることはないだろう。


まとめ:ファンコットをSTDKと片付け、あざ笑うことなかれ。
ファンコットはもしかしたら日本にもあったのかも知れない。
サウンド的には確かに面白く感じるし、そこが魅力だったりもするけれど、
魂の部分はまったくスットコドッコイではなく、むしろ日本人が忘れかけたアジアのプライドと魂が脈々と流れているのだ!

1 件のコメント:

  1. はじめまして^^日本でFunkotが流行ってきているという友達の話を聞いて、検索していたらこのブログに辿り着きました。
    私日本人ですが、色々あってインドネシアに住んでいてDJしています。(Funkot DJではないですが、、)
    ファンコットやコタについての説明を本当に上手にされていてとても驚きました。
    2012年の今もインドネシアではFunkotブームは衰えていませんが、
    コタのMilleniumやスラバヤのKowloonなど、Funkotの代表と言われるようなディスコでセラタン系の音楽のイベントをやる日を作ったりなど、少しずつですが変わっていっているような気がします。
    コタ地区でもStadiumは昔からですが、Illegalsという出来て1年目くらいのクラブが
    トランスやプログレッシブなどが中心で、外国からDJを呼んでイベントを行ったりしています。

    個人的にはFunkotはあまり好きではないのですが(すいません、、)独自の音楽ジャンルを作り上げたインドネシア音楽シーンは凄いと思います。

    返信削除